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プロフィール

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はじめまして、ロッキーです。
Web制作フリーランスとして札幌市を拠点に活動している28歳です。

こちらでは、僕がWeb制作に出会って生まれ変わっていく過程について書いていきます。
(今後も更新していくつもりなので、たまには覗きに来てくださいね☆)

ロッキーってどんな人?
なんだか複雑な経歴を持っているようだね…

安定から飛び出す人生

大学卒業後、晴れて国家公務員として就職!!
両親は大喜び、下宿のおばちゃんも褒めてくれました。
まさに安定な暮らしが待っている…そう確信していました。
市民には見えることのない影の努力、その現実を知るまでは。

僕が勤めたのは、公務員の中でも技術職という職種の土木という部門でした。
北海道内の国道の維持・管理や、新しい道路の改築工事に携わっていました。
業務内容からすると、非常にやりがいのある仕事をしているはずでしたが…

  • なんだか面白くない…
  • 災害時の呼び出しが怖い…
  • マイホームが欲しいけど、転勤がネックだな…

そんなことを考えるようになっていきました。

もともと土木に興味があったわけではなく、大学時代住んでいた下宿の先輩の多くが
公務員になった影響もあり、特になりたい職業もなかったことから目指した公務員。
将来とちゃんと向き合わず遊び続けてきた自分に、ツケが回ってきたのです。

周りに転職の相談をするも、9割以上から言われるこの言葉。

「もったいない」

確かに、万が一の事が無ければ基本土日は休みで、お盆や年末年始休暇もある。
お給料もボーナスもしっかり入ってくるし、解雇や倒産などのリスクが無い。

しかし、自分が今後40年近くもこの仕事をしていて
本当に後悔の無い人生だと言えるのだろうか…という葛藤がありながら過ごしていました。

石の上にも三年ということで、それまではなんとかモチベーションを保って
社会に必要な仕事を任されているという気持ちで続けることができました。

初回の転勤を経た後も、働きながらずっと考えていましたが、
やっぱりもやもやを抱えたままの人生を続けることはできない!

社会人3年目となった2019年の夏、何度も考え尽くして、ついに決心しました。

「この年度で辞める!」

そう決めてからは、お昼休みの限られた時間で近くの自宅に一度帰宅し、
ごはんを食べながらYouTubeで業界についての情報収集や、自己分析に費やしました。
帰宅が遅いため、夜はまとまった時間が取れないことが多かったです。
土日は、転職フェアや会社への面接に足を運ぶ生活をしていました。

在職期間の終わりが迫ってくることへの焦り、休息する余裕もなかったため
なかなかリフレッシュもできず、心身ともにしんどい日々でした。

…しかし、受けるところ全てから来る不採用通知。
結局次の就職先も決まっていないまま、年度末を迎えてしまいました。

これまでは先輩や友人を真似て、既に見えているレールを辿る人生でした。
初めて行き先のない道を進むことになった僕でしたが、札幌市へと飛び出したのです。
自分の人生を変えるために…!

二転三転する人生

札幌に引っ越してから、コロナで転職活動がしづらい状況でしたが、
このまま収入が無いわけにはいかないと思い、とあるスーパー銭湯のスタッフとして
アルバイトをすることから始めました。

僕の趣味は温泉です。

好きな空間にいてお金が貰える…

なんて素晴らしいんだ!!

とは思いつつも、将来のためには正社員として就職しなければいけない。
納得できる自分らしさを活かせる仕事を探して、再び転職活動に励んでいました。

いつも通りバイトが終わった帰り道、ふとスマホを開くと1通のメールが。
「また今後のご検討を祈ってくれているのかな…」

ところが、目に飛び込んできた文字は
『採用です』

なんと、公務員時代に一度不採用になったけれども、どうしても諦めきれず、
札幌に引っ越した後で再度応募した会社からでした。

時代のトレンドに合わせて扱うサービスを変えるというスタンスの営業会社で、
ワクワクが止まりませんでした。「今度は頑張るぞっ!」

与えられた業務は新規顧客へのテレアポです☎

うわ~電話苦手なんだよな~

しかし、自分の可能性を広げるため、勇気を出して一歩踏み出すことにしました。

「もしもし!!!」

職務は定時で上がれるものの、結果に繋がらなければ意味が無い。
その会社に入ってからは、成約に結びつけるため、とにかく頑張りました。
休日なんて全て返上、トークスクリプトを見返したり相手からのNOを受けてからの
返し言葉を練習したりと、突き詰めれば終わりのない作業をしていました。

それでも、なかなか芽は出ませんでした。
やる気はあるけれど成約には結びつかず、上司も頭を抱えていました。

トークスキルは無いものの、第一声の大きさが取り柄だった僕に付いたあだ名は、

❝もしもしマシーン❞

でした笑笑(ずっと呼ばれていたわけでありません)

試用期間の3ヶ月が経っても成果を出せないままで、契約を更新するか否か
上司と話し合った結果、期間満了のタイミングで退職することとなりました。
まだ小さいベンチャー企業にかかる教育コストの面と、このまま続けていても
僕の今後の人生のためにならないという面で、双方合意の上での決断でした。

ここへきて、来月の働き先がなくなった僕は、またふりだしに戻ります。
そして、再び行く先の見えない森の道を歩くこととなったのです…。

あるインフルエンサーの存在を知る

次の就職先も決まっていないまま退職。

あれ、デジャヴ…?


一度身軽になった経験をしているため、役所での手続きも抵抗がありませんでした。
またまた就職活動のスタートかな~、そう思っていました。

年は変わり2021年、一人のインフルエンサーの発信が、僕の人生を変えることとなります。

プログラミング、ブログ、YouTube、SNSマーケティング…
様々な分野で成果を出されている、YUJIさんの存在です。

会社員時代の上司の指導により、苦手だった自己啓発にも抵抗が無くなった僕は、
ビジネス系のYouTubeをよく見るようになりました。
たまたま目に入った関連動画から、彼のすごさはビシバシ伝わってきました。

「間違いない、この人の発信は僕の人生を変える。それも、良い方向に…!」

暗い夜道の真ん中、一筋の光が見えた気がしました。

Web制作の世界に飛び込む

YUJIさんの発信により、Web制作という世界を知りました。
時間と場所に縛られることなく仕事ができ、クライアントに直接価値提供ができ、
自分の活動の幅を広げる入口としてピッタリということから、挑戦することに決めました!

『将来のためには正社員として就職しなければいけない』
このマインドブロックを破壊し、フリーランスとして生きる選択肢を与えてくださったのです。

1月は徹底的にマインドセット、学習の準備を整えました。
昔は読む気すらしなかったビジネス系の書籍を読み、成功者の考え方を刷り込みました。
新しくノートパソコンも購入し、Twitterのアカウントも開設し、2月から学習をスタートしました。

Progateの学習、ポートフォリオの作成へと進んだ僕は、3月に初案件を獲得することができました。

クラウドソーシングサイトでの提案だけでなく、ココナラでのサービス出品も行っていたことで、
ぽつりぽつりと見積もり相談のご依頼をいただけるようになり、ココナラの最高ランクである、
『プラチナランク』の獲得や、「コーディング」カテゴリーランキング1位を獲得するまでになりました。

学習と同時にTwitterでの発信も継続していたため、Twitterでの知り合いから
案件をいただくことも多くなりました。

次第に案件の受注を自動化、つまり ❝待ちの営業❞ のスタイルを確立していったのです。

今ある環境・周囲の繋がりには本当に日々感謝しています。ありがとうございます。

誰にでも輝ける瞬間がある

過去の僕は、やりたい事も特技も無く、現状に不満を持って転職を繰り返し、
学生時代の友人が充実した日々を過ごしているように見えて羨ましいとさえ思っていました。
もしかしたら、あなたもそのようなことを考えたことがあるのではないでしょうか。

しかし、ちょっとしたきっかけでWeb制作を仕事にするようになったことで、
やりたい事が溢れ出し、毎日に充実感を得て、自分に素直に生きることができるようになりました。

あなたも、理想の自分に 会って、なって、輝くことができます。
一度きりの人生、自分らしく生きてみませんか?
僕はそんなあなたに選択肢を与える存在、背中を押す存在になりたいと考えています。

これから一緒に、悔いのない現実を堪能しましょう!

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